2009年03月のメッセージ OCC伝道部
神様の無条件の愛
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネの福音書3:16
キリスト教の暦では、2009年2月25日(水)から「レント=受難節」に入りました。「レント=受難節」とは、イエス様の地上での生涯におけるクライマックス、十字架に向かう苦難の道に想いを馳せるものです。イエス様の苦難と十字架上の死は、私達に対する神様の無条件の愛があらわされたものです。
イエス様の十字架は何の為にあったのでしょうか?それは、全ての人が救われる為に起こった出来事でした。救いの対象である、人間の現状はどの様なものでしょうか?日本を例に考えてみましょう。
マザーテレサは、1981年初来日の際、このように話しました、
「日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国です。しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に無関心です。物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊かな人たちです。物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人たちです。愛の反対は憎しみと思うかもしれませんが、実は無関心なのです。憎む対象にすらならない無関心なのです。」
自分の欲望を満たす事にのみ、意識が集中し、他人を顧みない、今日の日本人の姿を明確に語っています。
日本で主流の進化論的考え方では、命は偶然存在し、競争原理によって、「出来る者だけが価値があり、生き残る」という条件付き社会になります。自分が一生懸命頑張る事によって、他人との比較によってしか自分の存在を確認出来ない、生きにくい社会です。時間と生産性で人間性を評価し、切り捨て社会とも言えます。
さて、神様の側から考えてみましょう。実は、神様は人間社会に見られる条件よりも、はるかに高い基準をお持ちになっています。神様は、完全に清いお方、正しいお方です。神様はその完全な清さ、正しさを人間にも要求されます。つまり、神様の側から見ると、全ての人間は裁きの対象であり、罰を受けるべき存在であり、滅ぶべき存在なのです。
しかし、神様は裁きでなく赦しを、罪ではなく祝福を、滅びではなく永遠の命をお与え下さっているのです。
確かに神様の愛は無条件に注がれています。これは、単なる無条件ではなく、イエス様が私達の為に、神の裁きを身代わりに引き受けて下さった、という出来事が前提にあるのです。
私達は、どんな人でも、どこにいて何をしていても、どんな環境でも、何があっても神様から無条件に愛されているのです。私達が、たとえ罪人であり、また、弱く駄目な人間であったとしても、「それでもわたしはあなたを愛している」という神様の声に耳を傾けて歩んで参りましょう。
イエス様の十字架は、私達に、神様の無条件の愛を知らせる為のものです。レントのこの時期、フライデーナイトで神様の無条件の愛に、イエス様の十字架に思いを向けませんか?
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