2008年11月のメッセージ 榊原 寛
自分死を生きる
最近私は51歳になった男性の告別式の司式をしました。彼は、48歳のとき、つまり2年3ヶ月前、すい臓がんの告知を受け、1年もたないだろうということでした。ある日、彼と奥さんは、涙に顔をぬらしながらやってきました。心を注いで神様に癒しの祈りをささげました。その後、私は彼に「あまりがんばらないで、ゆっくり過ごすことだよ」と何気なく話した言葉を、彼は受け留めたようでした。召される2週間前に、夫婦一緒に洗礼を受けました。彼は緩和ケアの病室で話してくれました。「あの時の言葉で、そうだがんばらないでゆっくり1日1日を大切に過ごしたらいいのだ」と思ったそうです。「1年もつかといわれたが2年3ヶ月も長く生きられたことは感謝だ。単身赴任で妻とも子どもたちとも一緒に過ごすことが少なかった、すまないと思っていたが、思いがけなく一緒に過ごすことができた。感謝だ」と繰り返していました。恨みつらみのひとこともありませんでした。大学生の息子たちから父の日に手紙をもらったそうです。「ぼくたちは、お父さんやお母さんの後姿を見て生きていきます」という内容でした。彼はそれを見て、感動の涙を流かしていました。
彼には、もっともっと長生きしてほしかった。しかし、私は、彼を通して、人はどれだけ長く生きたということより、どのように生きたかということのほうがより大切であることを強く感じました。
作家の三浦綾子さんが、カリエスを病み、ギブスベッドに寝かされていた頃、ご主人の三浦光世さんが、お見舞いに行ったときだったそうです。光世さんが、綾子さんのために読んだ聖書の言葉は、キリストが私たちのために、天国に住まいを供えてくださるという内容でした。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネによる福音書14章1~3節)そして歌ってあげた賛美歌は、天国へ向かう、「主よみもとに近づかん」だったそうです。綾子さんはそれから徐々に回復し、結婚され、すばらしい作家として、クリスチャンとして生涯を閉じました。病と苦痛の連続であった生涯にもかかわらず、感謝と喜びに満ちて多くの作品を残されました。私がご自宅にお伺いしたとき、ソファーベッドから起き上がり、「私にはまだ死ぬ仕事がある」としぼり出すように言われました。
51歳で召された彼も、わずか1年もたないだろうといわれたにもかかわらず、2年3ヶ月も長生きすることができたと言いながら、自分の死の準備とした有意義な日々に生きたといっていいでしょう。私たちのこの1日がその日のための1日であることを感じて生きている人はどれだけいるでしょうか。
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