2008年07月のメッセージ 榊原 寛

神の声を聴く


 6月8日、日曜日の昼下がり、秋葉原の歩行者天国の道路へ、トラックがジグザグ走行でスピード上げて飛び込んできた。人々をはね、トラックが動かなくなると、車から飛び出て、鋭いダガーナイフで手当たり次第に切りつけた。17人を殺傷。 3人はトラックではねられて死亡。4人はナイフで切りつけられて死亡。馬乗りになってメッタ刺しであったと報道されている。刃渡り 13センチのダガーナイフとは、そもそも武器として設計されたもので、サバイバルナイフとは切れ味は劣るが、突き刺して相手を殺傷する能力は優れているそうだ。
 メディアは、毎日大きく報道した。犯人の実像に迫り、一方、亡くなった方々の事や遺族の方々の悲しみ、憤り、悔しさ、許せない怒りなど。
 専門家が様々とこの事件を分析していた。なんともやるせない日々が続いた。
 でも、時間が過ぎると、いつの間にか過去の事として過ぎ去っていくような感じだ。しかし、遺族の方々や傷を負った人々にとっては、生涯忘れることのできない事件となってしまった。あらためてここで、この事件を分析したり、犯人の心理を分析しようとするものではない。もちろん、「神を信じていないからだ」と短絡的に結論を下すつもりはない。しかし、あまりにも、自分自身を窮地に追い込み、劣等感の塊になってしまっている犯人について、いたたまれない気持ちがこみ上げてくる。誰でもが多少に関わらず劣等感を持っている。彼は携帯サイトの掲示板に様々なことを書いていた。報道された中からいくつかを拾ってみた。

 「希望のある奴にはわかるまい」、「勝ち組はみんな死んでしまえ。負けっぱなしの人生だ」、「必要だからではなく、人が足りないから来いと。誰が行くかよ」、「会社はなめている」「いつも悪いのは全部俺」、「自分に値段をつけたら? 無価値です。ゴミ以下です。リサイクルできる分、ゴミのほうがマシです」、「隣の椅子が開いているのに、座らなかった女の子が、二つ隣が開いたら座った。さすが嫌われ者の俺だ」、「大きい車を借りるには、クレジットカードがいるようです。どうせ俺は社会的信用なしですよ」「社会が悪い・会社が悪い・家庭が悪い」

 あまりにも自分を卑下してはいないか。これじゃあ、コンプレックスの塊じゃないか。あまりにもすねていやあしないか。などと、誰もが思う。しかし、自分だってこんなことを思ったことはないだろうか。
 インディペンデント誌は、「(これまで通り魔事件に関与した)男たちの人物像を見ると、パートタイマーや職が不安定な人であることが多い。こうした男性が、社会から疎外されていると感じ、鬱積(うつせき)した怒りを爆発させる」との社会学者の見方を紹介している。 結果、「やりたいこと・・・殺人。 夢・・・ワイドショー独占」と殺傷に及んだ。
 彼が、青森で、岐阜で、静岡で、「私の目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)との神の声を聞くことができたら、どうだっただろうか。
 
キリスト者として、聖書を通して神の声を聞かせることができなかったことに、責任を感じるひとりである。フライデーナイトで、どうか、神の声を聞いてほしい。


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