2008年05月のメッセージ 榊原 寛

『蟲愛ずる姫君』のことを知って


 『いのちの対話』は諏訪中央病院の鎌田實先生と7人の対談の書です。この中に、中村桂子さんが「いのちを愛ずる」というテーマで、『蟲愛ずる姫君』について語っています。その部分を引用させていただきます。

「『蟲愛ずる姫君』という平安時代の『堤中納言物語』の中の小さなお話です。京の街に、チョウが大好きなお姫様がいらっしゃる。チョウはきれいだからみんなも一緒に楽しんでくれますが、そのお隣に、毛虫が大好きなお姫様がいるんです。こちらは、みんなが、「こんな汚いものを」と敬遠して、両親も「これじゃあお嫁に聞けない」って心配するんですね。
そうすると、このお姫様が、驚くべきことを言うんです。「みんなは花やチョウをちやほやするけれども、あれははかないものでしょう。」って。「人は本当のものを見なくてはいけない。本質を求めなければいけない。毛虫をよく見ていてごらんなさい。これは汚いけれど、だんだん育ってチョウになるでしょう。その美しさのおおもとは、この毛虫の中にあるのに、どうしてみんなこれを嫌うの」って言うんです。つまり「愛ずる」は単に可愛がるではなくて、よく見つめて本当のことを理解すると、それが好きになって、愛情がわいてくるという意味だとわかるんです。」

この対話を読んだ時、自分の目の不確かなこと、節穴どころか、自己中心的な思いでしか人を見ていないということに気付かされたのです。プラトンが、「エロス」の愛について、「人は常に自分にとって美しいもの、価値あるものを待ち伏せるのが、エロスの愛である」という意味のことを言っています。したがって、人は、その愛の対象が、自分にとって美しくなくなり、価値がなくなると、容赦なく切り捨てるというのです。ですから、上辺だけを見て判断することに大きな危険が生じます。
毛虫の好きな姫君が、「人は本当のものを見なくてはいけない。本質を求めなければいけない」と言っているとおりです。

ところで、聖書には、神様が人をご覧になって、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と言われたことばが記されています。考えてみれば、上辺も中身もどこから見ても、罪深さと弱さを備え、そのくせ、頑固で傲慢な私たちのどこに価値があって、愛されるものがあるだろうかと、このことばの前に立ちすくんでしまいます。
しかし、神の究極の真実な愛は、イエスの生涯と十字架にあらわされました。
私たちはこの神の愛を経験することを求めています。ここから相互の愛が必ず芽生えてきます。「『愛ずる』は単に可愛がるではなくて、よく見つめて本当のことを理解すると、それが好きになって、愛情がわいてくるという意味だとわかるんです。」とは、本当だと思います。


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