2006年05月のメッセージ 関根 一夫
まもなく連休!
私は、かつて、「お茶の時間」さえも何となく罪悪感を感じてしまうほど、「動き回る」ことに執りつかれていたような時期がありました。要するに、休息は天国に行ってから、つまり死んでからいくらでもあるのだから、この地上では休みなく働くことが美徳なのだというような考えですね。
からだが動いている間、そして、確かにしなければならない仕事がそこにあり、意欲が沸いているときには、それでもできるのですが、実際問題として「動き回って」どれだけのことが出来たのかという客観的評価をしてみると、休み休みでもじっくり継続できているもののほうが、休まずに短期決戦でやりあげたものよりも、安心できる結果を生んでいるように思います。
休みをいれながら、お茶でも飲みながら、じっくり仕事に当たることってとても大事な要素だなと感じる今日この頃です。そのほうが元気がでますしね。
もちろん、人生には何が起こるかわかりません。突然の事故や災害があるかもしれないし、いつイエス様が再臨なさるのかもわかりませんので、急に今までの仕事が中断されることだってあると思います。でも、人生って、中断されるものなんですよね。休みを入れることでの中断も、病気になっての中断も、実は「人生における必須事項」「人生における想定の範囲内」ということにしておいたほうがいいですね。
箴言の言葉はなかなか意味深いですよ。
「勤勉な人はよく計画して利益を得/あわてて事を行う者は欠損をまねく。」箴言21:5
この計画の中には、きっと、お休みの時間の計画も入っていると思いますねぇ。そもそも、神様の計画の中には7日に一日はお休みを入れてくださっていますものね。しかも理由があるのです。
こんな言葉があります。
「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。」出エジプト記23:12
元気を回復するため、そうです。休みはそのためです。さぼるというのではなく、休むのです。その境界線がむずかしいかなぁ。いずれにしても元気を回復するための休息はOK。休んでも元気を回復できない場合、それはもしかすると「病気」で治療が必要なのかもしれませんね。
古代オリエントでの神話にはいろいろな神々が出てきて、人間を創造するという話があるのですが、ほとんどの場合、創造主である神様のことを「主人」造られた人間は「奴隷」という書かれ方なのです。ですから、そこには「休ませる」とか「元気を回復させる」という発想はありません。その部分は旧約聖書の際立っている内容のひとつです。
神様は、私たちを休ませようとしています。元気を回復させようとしているんですよ。
そういえば、イエス様も「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます」とおっしゃっています。
フライデーナイトで心をほっとさせ、イエス様のもとに休んでください。祝福がありますように。
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