2006年03月のメッセージ 関根 一夫



 箴言19章

19:2 熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。

19:3 人は自分の愚かさによってその生活を滅ぼす。しかもその心は主に向かって激しく怒る。

* * *

箴言という日本名は、中国からの名前だと言われ、「針灸における竹の針」という意味があります。この格言集は、つまり「癒す言葉」なのです。今日の言葉は箴言19章からの言葉です。

私たちが、何だか不調に陥り、毎日の生活の中に、メリハリがなくなったとき、思い起こすと良い言葉のひとつかもしれません。


1) 熱心だけで知識のないのはよくない

熱心であることは、決して悪いことではありません。ただ、熱心さだけでは、いくつかの危険があります。熱心ではあるけれど、知識がない場合には、間違ったことを熱心に実行したり、教えたりしてしまう危険があります。これは大変な問題になります。しかも、熱心さは、かならず壁にぶつかり、もっと愚かに燃えていくか、あるいは、あきてしまって止めてしまうことさえあります。

パウロはローマ人への手紙の中で

10:1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。

10:2 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。

10:3 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。

と書いていますが、熱心さばかりが先走ってしまっている律法主義者を指摘しています。

学ぶという姿勢、教えられたいという姿勢が私たちを豊かにし、私たちの心を安心させるものなのです。学校に行かなければならないとか、勉強しなければダメだとかいうのとはちょっと違います。神の知恵と呼ばれるイエス様をもっともっと深く知りたいという意欲があるかどうかの問題かもしれません。逆な心配もありますね。知識はあるけれど、熱心ではないというのも、考えものですね。知識も熱心も欲しいものです。


2)急ぎ足、自分の愚かさ

さて、私たちは、他の人たちの姿が見えますから、どこかに比較があり、ひがみがあり、あるいは、うぬぼれや自己憐憫などが生まれます。

そんな中で、「焦り」が生まれることがあります。「このままではいけない」と思うことは間違いではありません。しかし、それをあまりに深刻に受け止めすぎて、焦りを感じ始めると、その焦りは、心の原動力となって案外コントロール不能状態に私たちを追いやる危険性があります。

「焦り」の中にいると、自分の姿も冷静に見ることができず、神様の約束を待つことが不可能になります。すべて、「今すぐ」という思いに捉われてしまいやすいのです。「今すぐ」わかること、「今すぐ」できること、は案外限られています。ですから、「今すぐ」だけを追い求めていると欲求不満はあっという間に心をふさいでしまいます。

神様は、私たちを生かしてくださっていますので、「今すぐ」だけではなく、「明日、あさって」になっても、大丈夫なものがたくさんあることを認める必要があります。焦る必要はありません。もちろん、今日中にしなければならないことはあるのです。でも、焦る必要はありません。たとえば、今日できなかったら、明日精一杯やってみればよいのではないですか。自分を責めたり、状況を責める必要はありません。焦る心に振り回される必要はないのです。

あまりにも、その心に支配されてしまうと、いつの間にか私たちは「愚か」な行為や考えの中に閉じ込められてしまうことになるのです。「愚かさ」の多くは「早とちり、焦り」から始まるようです。勝手に自分で、「この程度だ」と決定してしまうことが多いのです。それが問題の出発点です。


3) 神への怒り

知識がない、焦りの心が支配している、という流れは、どこに人を向かわせるかというと、「神様への怒り」に心を向けてしまうのです。理由もない怒り、神様への怒りを心に持ってしまうことになると、精神的な引きこもりを起こしてしまいます。

箴言の中には怒りについての警告があります。

14:16 知恵のある者は用心深くて悪を避け、愚かな者は怒りやすくて自信が強い。

14:17 短気な者は愚かなことをする。悪をたくらむ者は憎まれる。

14:29 怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。

14:30 穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。

* * *

ちょっと、落ち着いて、自らを省み、

※ 自分に知識が欠如していること

※ 焦る心があること

※ 神様への怒りがあること

を認めることができたら、イエス様にそれを告白し、赦していただきましょう。新しい人生をスタートするような気分で告白できると良いですね。イエス様は、私たちの心に、御言葉を教え、共にいてくださることを示し、赦しの福音を届けてくださいます。

イエス様は、神の知恵として私たちの心を満たし、聖霊は私たちにみことばを教えてくださいます。イエス様は私たちと共にいてくださって、焦る私たちに優しく導きを与えてくださいます。安心させてくださいます。神様への理由なき怒りをもっている私たちの醜い罪はイエス様の十字架によって赦されているのです。愛されているのです。心を新しくされ、新しい出発が可能なのです。

自分を責めずに、進んでください。
祝福がありますように。


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