2019年2月10日(日)
 どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。
(テサロニケへの手紙 第二 3章16節)

<<関連聖句>>
1.ヨハネの福音書14章22節―27節
2.ピリピ人への手紙4章6節―7節
3.コロサイ人への手紙3章2節―15節
<< ヒント >>
 創世記1章1節で「初めに、神が天と地を創造した。」と語ってから、2節以降、私たちが目にしている光や空、水をはじめ動植物や人を神はどのように創造されたかを語っていますが、ヨハネの福音書1章1節―3節は「初めにことばがあった。

ことばは神とともにあった。

ことばは神であった。

この方は、初めに神とともにおられた。

すべてのものは、この方によって造られた。

造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」と、イエス様のことを「ことば」と表現し、すべてのものはイエス様によって創造されたことを語っています。

興味深いことに創世記1章26節―27節は、人は他の被造物と異なって神に似たものとして創造されたことを語っています。

ところで、イエス様についてイザヤ書9章6節は「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。

ひとりの男の子が、私たちに与えられる。

主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者(カウンセラー)、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」と語っていることから、人は「平和の君」であるイエス様に似た者として創造されたのでした。

ですから、罪を犯す前、アダムはエバのことを「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉」と言って一体感を表していたにも関わらず、神のことばよりも悪魔のことばを信じて神が禁じた善悪の知識の木から取って食べて罪を犯したことによって男女間にひずみが生まれ、支配するのと支配される者、しいたげる者としいたげられる者という状態が起こり、人間関係がゆがんでしまったのでした(創世記3章12節及び16節、伝道者の書4章1節)。

その原因は「欲」に端を発しているために自分の利益、自国の利益ばかりを求めるために、どんなに人間の知恵を駆使して努力しても個々人の人間関係においても国家間においても、いつも平和を保つことができないのではないでしょうか。

そのような状況から脱する道を今日の聖句は「どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。

どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。」と、イエス様の存在が不可欠であることを語っています。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。

わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。

わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。

あなたがたは心を騒がしてはいけません。

恐れてはなりません。

(ヨハネの福音書14章27節)」とこの世が与えるような気休めではなく、どんな状況にあっても信仰の完成者であり、平和の君であるイエス様が私たちの心に聖霊なる神として内住しておられることを心に留めて、まず私たちの心に平和を与えてくださるように、人間関係においても平和が保たれるように主に助けていただこうではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )