2019年2月9日(土)
 ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使たちに喜びがわき起こるのです。
(ルカの福音書15章7節及び10節)

<<関連聖句>>
1.マタイの福音書18章10節―14節
2.ルカの福音書15章1節―32節
3. ルカの福音書19章1節―10節
<< ヒント >>
 取税人や罪びとたちがイエス様の話を聞こうと来たのを見て「この人は、罪びとたちを受け入れて、食事までいっしょにする。」とつぶやいたパリサイ人や律法学者に対して、「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹の羊を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

見つけたら大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」と二つのたとえ話をされてから、有名な放蕩息子のたとえ話をされました。

放蕩息子が「お父さん。

私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は、あなたの子とよばれる資格はありません。」と告白すると、父は「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」と言って、一番良い着物を着せ、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせ、肥えた子牛をほふって祝宴を開いた様子から父がどれほど喜んだかがわかります。

私たちにもキリスト信じた時、同じことが起きていたのです。

ただ、生まれながらの自分、すなわち肉の思いに支配され、神を喜ばせないようないことをして(ローマ人への手紙8章7節―8節)、多くの失敗をしますが、そのような時、自分の考えや力でなんとか解決しようとするよりも「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(ヘブル人への手紙4章16節)」を思い起こし、主に助けを求めるなら、主は助けてくださるだけでなく、今日の聖句が語っているように天に喜びが起こるのではないでしょうか。

いつも信仰の完成者であるイエス様に在る者として、救われていることを喜ぶとともに、人々が偶像崇拝を悔い改めるように祈ろうではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )