2019年2月8日(金)
 主は私の力、私の盾。私の心は主に依り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。
(詩篇28篇7節)

<<関連聖句>>
1.詩篇71篇20節―24節
2.イザヤ書46章3節―13節
3.ペテロの手紙 第一 1章3節―9節
<< ヒント >>
 神はアダムを創造された後「人が、ひとりでいるのは良くない。

わたしは彼のために、ふさわしい助け手を造ろう。」と仰せられ、アダムに深い眠りを下され、彼のあばら骨の一つからエバを創造されたことから、人間関係は神によって確立されたのですが、エバのことを「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉、これを女(イシャ)と名づけよう。

これは男(イシュ)から取られたのだから。」と言っていた関係が、神のことばよりも悪魔の偽りのことばによって神が禁じた善悪の知識の木から取って食べたエバから渡されるままにアダムも食べて罪を犯したことによって崩れてしまったのでした。

主から食べてはならない、と命じておいた木から食べたのかを問われると、アダムもエバも神である主に罪を謝罪するよりもアダムはエバに、エバは蛇に責任転嫁をし、支配する者と支配される者という関係がもたらされ、人間関係だけでなく神との平和が崩れてしまったのでした。

パリサイ人であったパウロは神に熱心でしたが、聖霊を持たず、自分の考えで行動しキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となったパウロは迫害される者となったのでしたが、キリストを知ることによって救いは行いではなく恵みによるものであることを説く者となり、囚われの身でありながら「いつも主にあって喜びなさい。

もう一度言います。

喜びなさい。

(ピリピ人への手紙4章4節)」と勧めていますが、それはダビデが「主は私の力、私の盾。

私の心は主に依り頼み、私は助けられた。

それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。」と語っている今日の聖句に通ずるのではないでしょうか。

ペテロの手紙 第一 1章5節―9節は「あなたがたは信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。

そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。

いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いまは見ていないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、これは信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」と語っていますが、永遠の死から救われていることを感謝し、栄に満ちた喜びにおどって生きているかどうかを考えてみようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )