2018年12月11日(火)
 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
(マタイの福音書11章29節)

<<関連聖句>>
1.ピリピ人への手紙2章3節―11節
2.ヘブル人への手紙5章7節―10節
3.ペテロの手紙 第一 2章19節―25節
<< ヒント >>
 パウロは「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いの人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

自分のことだけではなく、他の人のことも考えなさい。

あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。

それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」と語ってから「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。

人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

(ピリピ人への手紙2章3節―8節)」と、私たちにイエス様を模範として生きるように勧めている一方「あなたがたは、ことさら自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。

彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに結びつくことをしません。

・・・」と、へりくだることは自己卑下とは異なること、その違いは「かしら」、すなわちキリストに結びついているかどうかにあることを示唆しています。

イエス様はたましいに安らぎが与えられるためにはイエス様のくびきを負う、すなわちイエス様と歩調を合わせるだけでなく、イエス様から学ぶ必要があることを語っています。

この世は欲とプライドで成り立っているので(ヨハネの手紙 第一 2章16節)、世と調子を合わせる、すなわちこの価値観や生き方と歩調を合わせて生きると欲に支配され、安らぎが来るどころか、争いが起きたり、劣等感に悩まされたり、優越感にひたるような状態に陥ってしまい、心の安定を欠いた人生を歩むことになるのではないでしょうか。

自分の考えや思いで生きているとすべての責任を自分で背負って生きなくてはならず疲れ果ててしまいますが、失敗や罪を負ってくださった主を見上げ、心の内を正直に主に申し上げるだけでなく、主が日々私たちを背負っていてくださることを思い起こし、ダビデが(詩篇31 篇5節)、主がご自身を父なる神に委ねられたように(ルカの福音書23章46節)、私たちも私たち自身を主にお委ねして生きるなら、すべてのことを働かせて益としてくださる神と十字架の恵みを知ることになり、今日の聖句が語っているように心に安らぎが与えられるのではないでしょうか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )