2018年12月10日(月)
 まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。
(詩篇107篇9節)

<<関連聖句>>
1.ヨハネの福音書4章3節―14節
2.ヨハネの福音書4章3節―14節
3. ヨハネの福音書6章32節―35節
<< ヒント >>
 パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。

いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

(ローマ人への手紙12章2節)」と、警告しています。

なぜなら、ヨハネの手紙 第一 2章15節―16節も「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。

もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。

すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世からでたものだからです。」と、この世にあるのは「欲」と「自慢」であり、この世と調子を合わせてしまうと、エペソ人への手紙2章3節が「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」と語っているように、キリストを信じる前の状態に戻ってしまうことになり、十字架の恵みを無駄にしてしまうことになるからではないでしょうか。

「欲」は満ち足りた心を与えるよりも、かえって「欲」は神よりも自己満足へと導き、神を認めないという罪へと導いてしまうのではないでしょうか。

私たち以上に私たちのことをよくご存知なの神であり、神は私たちに何が必要であることをご存知であり(マタイの福音書6章7節―8節)、しかもローマ人への手紙8章 28節は「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と語っていますが、本当に知っているかどうかを知るために、完全な者となるためには試練も必要であることをペテロは語っています(ペテロの手紙 第一 5章10節)。

イエス様は「わたしがいのちのパンです。

わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがありません。」と仰せられました。

今日の聖句「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」を成就してくださったイエス様を信頼し、自分の考えや思いに支配されないように生きようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )