2018年12月3日(月)
 知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
(コリント人への手紙 第一 1章20節)

<<関連聖句>>
1.マルコの福音書7章5節― 23節
2.ローマ人への手紙1章20節―23節
3.コロサイ人への手紙2章8節―9節
<< ヒント >>
 この度、ユネスコ政府間委員会は、秋田のナマハゲを含む日本の来訪神10件の無形文化遺産登録を決定したことが報道されました。

ナマハゲなどの来訪神は仮面をかぶって各家々を訪ね歩きますが、その形相は神というよりも邪鬼のようであり、悪魔や悪霊の働きであることを思わされます。

なまはげに扮した人は「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」と奇声を発しながら家々を練り歩き、家に入って怠け者、子供を探して暴れますが、家の人は丁重にこれを出迎え、家の主人が1年間の家族の日常の悪事を釈明してから酒などをふるまい、家から立ち去るようにするという伝統行事ですが、その行事は悪いことをするとどのようなことが起きるかを幼少の時に記憶させるための教育の手段として理解されているようです。

しかし、伝統を重んじるよりも幼児に与える精神的な影響を考える必要があるように思わされます。

確かに、今日の聖句が「知者はどこにいるのですか。

学者はどこにいるのですか。

この世の議論家はどこにいるのですか。

神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。」と語っているように、この世の知恵は大切なものを見落とさせるような働きをするのではないでしょうか。

人生相談の回答者アン・ランダー女史に「毎週何千通というお手紙が届くと思いますが、人々に共通していることは何ですか?」と尋ねると、「それは一言で言えます。

それは“恐れ”です。」と答えたそうです。

この世や人の知恵は物事を肯定的に考えれば恐れから解放されるかのように説きますが、一時的には効果があるかもしれませんが、恐れが取り除かれることはなく、しかも、肯定的に考えられない人には、肯定的に考えられない自分を責めるような逆効果をもたらすのではないでしょうか。

ヨハネの手紙 第一 4章18節が「愛には恐れがありません。

全き愛は恐れを締め出します。

なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。」と語っているように、全き愛は十字架のイエス様に見ることができます。

私たちの神は恐れを与える神ではなく、恐れを取り除いてくださる神であることを感謝するとともに、主が各教会のクリスマス集会を祝福し、多くの人がまことの神を知ることができますように祈ろうではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )