2018年10月10日(水)
 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。
(箴言9章10節)

<<関連聖句>>
1.詩篇111篇1節―10節(10節の明察、口語訳:悟り)
2.イザヤ書11章1節―5節
3.エペソ人への手紙1章3節―14節
<< ヒント >>
 神から「あなたに何を与えようか。

願え。」と尋ねられたとき、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。

さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と申し上げたソロモンの願いは主の御心にかなったので、知恵の心と判断する心が与えられたのでした(列王記 第一 3章5節―12節)。

この世の「知恵」の概念は、知能指数(IQ)によって判断されがちですが、神の知恵は頭ではなく心に与えられるものであり、今日の聖句が「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」と語っているように、「悟り」も修行をしたり、いろいろ思案したり、経験に基づいて自分で納得するようなものではなく、主がどのような方であるかを知ることによって得られるものであることを語っています。

パウロは「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。

この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。

(口語訳:神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜り、御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示してくださったのである。

)」と、主によって知恵と悟りはキリスト者に与えられていることを(エペソ人への手紙1章7節―8節)、しかも神のみこころの奥義が知らされていることを語っていますが、この世の知恵では神を知ることができないことをも語っています(コリント人への手紙 第一1章20節―21節)。

本当の賢さはIQによるものではなく、神の力であり神の知恵であるイエス様を信じることによって与えられる聖霊を持っているかどうかにかかっているのではないでしょうか(イザヤ書11章2節)。

行き詰まっているような時、箴言3章5節―6節の「心を尽くして主に拠り頼め。

自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。

そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」というみことばを思い起こし、私たちのことをいつも心にかけていてくださり、すべてのことを益としてくださる主(ローマ人への手紙8章28節)を信頼して生きようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )