2018年10月9日(火)
 だれがいったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。
(イザヤ書44章10節―11節)

<<関連聖句>>
1.イザヤ書40章18節―20節
2.エレミヤ書16章19節―20節
3. ローマ人への手紙1章16節―23節
<< ヒント >>
 人は神によって創造されたのですが、神が「生めよ。

ふえよ。

地を満たせ。

地を従えよ。

海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。

(創世記1章28節)」と仰せられたように、アダムとエバが創造されてから、人は両親によって誕生することになったために、多くの方は自分が神によって生まれたという意識がないのではないでしょうか。

しかし、興味深いことにローマ人への手紙1章20節が「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」と語っているように不思議に人は神の存在を知っているのではないでしょうか。

ところで、今日の聖句が「だれがいったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。

見よ。

その信徒たちはみな、恥を見る。

それを細工した者が人間にすぎないからだ。

彼らはみな集まり、立つがよい。

彼らはおののいて共に恥を見る。」と語っているような偶像崇拝の原因をローマ人への手紙1章22節―23節が「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように、自分たちの考えでさまざまな神々を造り、それを拝むことが敬虔なことと思っていることによるのではないでしょうか。

ですから、パウロは「ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。

(ローマ人への手紙12章2節)」と語っています。

全ての人はやがて死からよみがって真の神を見ることになりますが、その時、人々は恥を見ることになるでしょう。

真の神を信じる信仰が与えられていることを感謝するとともに人が世話をしなくてはならないような神々は、神ではないことに人々の目が開かれるように祈ろうではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )