2018年7月12日(木)
 正しい者の報酬はいのち。悪者の収穫は罪。
(箴言10章16節)

<<関連聖句>>
1.ヨハネの福音書5章19節ー24節
2.ローマ人への手紙3章19節―26節
3.ローマ人への手紙6章17節―23節
4.ローマ人への手紙8章28節―34節
<< ヒント >>
 一般的に「正しい者」と「悪者」の基準は、逮捕されるかどうかによるもので、「嘘も方便」ということばが象徴するように嘘を処世術と考えて罪意識を一時的に持っても自分を「悪者」とは考えずに生きているのではないでしょうか。

パウロはキリストを信じる信仰によって与えられる神の義を知らずに律法による自分の義に生きていた時には、自分の考えでナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきとキリスト者を迫害していたのでしたが、キリスト者となったパウロは自分に罪(口語訳:罪の力)があることを認めるとともに、「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。

ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪としの原理から、あなたを解放したからです。

(ローマ人への手紙7章25節ー8章1節―3節)」と罪の解決について語りました。

ですから、今日の聖句「正しい者の報酬はいのち。

悪者の収穫は罪。」は、イエス様のゆえに正しい者とされたキリスト者は罪に定められることがなく永遠のいのちが与えられている一方、罪を取り除いてくださるイエス様を信じていないなら悪者のまま罪が残ってしまうことを語っているのです。

キリスト者でも主を考慮せずに自分の考えを主張したり、行動したりして主が喜ばれないようなことをしてしまいますが、それらのものはすでに十字架で処理されていること、イエス様がとりなしていてくださるので罪に定められることがない、という恵みを感謝して生きようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )