2018年4月13日(金)
 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
(ヨハネの手紙 第一 1章5節)

<<関連聖句>>
1.ヨハネの福音書1章1節—5節
2.ヤコブの手紙1章12節—17節
3.ヨハネの手紙 第一 2章7節ー8節
<< ヒント >>
 ヨハネの福音書1章18節は「いまだかつて神を見た者はいない。

父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と、語っています。

ですから、今日の聖句は「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。

これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。」と神は光であることはイエス様によって知らされたことを語っています。

ところで、ヨハネの福音書1章4節は「この方にいのちがあった。

このいのちは人の光であった。」と、イエス様ご自身も光であることを語っています。

興味深いことに死からよみがえられ昇天され父なる神の右に座しておられるイエス様はサウロとも呼ばれていたパウロにダマスコの途上で「サウロ、サウロ。

なぜわたしを迫害するのか。

とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」と声をかけられたときにはパウロが視力を失うほどの光だったのでした(使徒の働き26章14節)。

キリスト者になる前は、パウロは、律法による義についてならば非難されるところのない者であったと豪語していましたが、キリスト者となったパウロは自分の中に罪があることを悟り、「私は、ほんとうにみじめな人間です。

だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」とパリサイ人と生きていたときには気づかなかったことを気づかされたのでした。

なぜならイエス様を信じたことによって心に光が宿ったからではないでしょうか。

パウロのように自分のみじめさを思い、自分に失望するような時、主が私たちの心を照らし、心をきよめる働きをされていることを思い、十字架の恵みの中にとどまるようにするとともに、とりなしていてくださる主に感謝をささげて生きようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )