2018年1月12日(金)
 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
(エペソ人への手紙2章10節)

<<関連聖句>>
1.エゼキエル書36章23節—27節
2.コリント人への手紙 第二 5章 15節—18節
3.テサロニケヘの手紙 第二 2章16節—17節
<< ヒント >>
 年が改まると、何か新しいことをしようとする思いや願いごとがかなえられるために、今年こそ心を新たにして生きようと思っても、日を重ねるうちに昨年と同じように間違いを重ね、後悔するような生活をしてしまうのではないでしょうか。

エレミヤ書17章9節は「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。

だれがそれを知ることができよう。」と人が抱えている根本的な問題を取り扱っています。

主が直らない、と言っているにもかかわらず、人の知恵、すなわち心理学の手法によって直そうという試みが世の中だけでなく、キリスト教会にも入り込んできているのを心理学の見地からの聖書解釈がもてはやされているような状況に見ることができるのではないでしょうか。

イエス様はニコデモに「肉によって生まれた者は肉です。

御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

(ヨハネの福音書3章6節—7節)」と直すのではなく、生まれ変わる必要性を、しかもその働きは御霊によることを語ったのでした。

エゼキエル書36章26節「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。

わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」はイエス様が昇天されたことによって聖霊が下り成就されたのです。

ですから、キリスト者には新しい心、新しい霊が与えられているのです。

今日の聖句「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。

神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」を心に留め、人から誉められても、そのことを喜んで自己満足に陥るのではなく、良い行いをも主が備えておられることを覚え、主に栄光を帰して生きようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )