2017年12月6日(水)
 私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものがあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。
(ガラテヤ人への手紙6章14節)

<<関連聖句>>
1.エレミヤ書9章23節ー24節
2.コリント人への手紙 第一 1章17節—25節
3.ガラテヤ人への手紙2章15節—21節
4.ガラテヤ人への手紙3章8節—14節
<< ヒント >>
 今日の聖句は「「私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものがあってはなりません。

この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」と、何を誇るべきかを語っています。

イエス様が十字架の刑に服してくださったことによって、イエス様を信じる者の全生涯の罪は取り除かれ、神の義とされ、神のさばきや永遠の死、すなわち悪魔や悪霊といっしょに昼も夜も永遠に苦しむような地獄から救われているがゆえに、誇るならキリストの十字架を誇るように勧めていることは理にかなっているのではないでしょうか。

使徒とされたパウロは「私はキリストともに十字架につけられました。

もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

(ガラテヤ人への手紙2章20節)」と、キリスト者はこの世から贖い出された者で、やがて消滅してしまうような世界と同調して生きるのではなく、十字架の恵みを心して信仰に生きていることを証しておられます。

ヨハネの手紙 第一 2章15節—17節が「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。

もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。

すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父からでたものではなく、この世から出たものではなく、この世から出たものだからです。

世と世の欲は滅び去ります。」と語っているように、世と調子を合わせて生きると十字架によってもたらされた恵みを忘れ、世の人々と同じように欲や暮らし向きの自慢、自分を誇って生きてしまうことになるのではないでしょうか。

ガラテヤ人への手紙5章24節「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまな情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」は、今日の聖句の「世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」を現しているのではないでしょうか。

十字架の恵みを忘れずに生きようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )