2017年12月4日(月)
 悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。
(箴言15章8節)

<<関連聖句>>
1.アモス書5章21節—24節 
2.ヘブル人への手紙5章7節—10節 
3.ヤコブの手紙5章15節—16節
<< ヒント >>
 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエス様は「ふたりの人が、祈るために宮に上った。

ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。

パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。

『神よ。

私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫するものではなく、ことにこの取税人のようではないことを感謝します。

私は週に二度断食し、自分の受ける物はみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。

『神さま。

こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。

パリサイ人ではありません。

なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」と語られたたとえ話に(ルカの福音書18章9節—14節)、今日の聖句「正しい者の祈りは主に喜ばれる。」の一端を見ることができるのではないでしょうか。

「正しい者」とは、自分を誇って高ぶる者ではなく、パウロのように自分を見たら「みじめな者(ローマ人への手紙7章24節)」であることを認めるとともに神の恵みを覚えて生きる者ではないでしょうか。

祈りについて「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。

貞操のない人たち。

世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。

世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。

(ヤコブの手紙4章)」と、世の価値観や生き方に同調して祈ることのないように語っています。

パウロは「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

(エペソ人への手紙1章19節)」と祈られました。

ヤコブの手紙5章16節は「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」と語っています。

私たちの祈りがどんなに大切なものであるかを自覚し、祈る時、主が喜ばれるかどうかを考えて祈ろうではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )