2017年8月10日(木)
 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
(マタイの福音書6章7節—8節)

<<関連聖句>>
1.イザヤ書4章5節—6節
2.マタイの福音書6章27節—33節
3.ヘブル人への手紙7章14節—28節
<< ヒント >>
 イエス様はペテロに「シモン、シモン。

見なさい。

サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。

だからあなたは、たち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と仰せられたのですが、その意味を理解できなかったのでしょうか、ペテロは「主よ。

ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と告白したのですが、イエス様は「ペテロ。

あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と預言され(ルカの福音書22章31節−34節)、そして、預言されたとおりのことが起きたのです。

ヘブル人への手紙7章24節—26節が「キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。

したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。

キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。」と語っているように人類にとって一番大切なのは、また必要なのは、死をもたらす罪の解決を与えてくださるだけでなく、信仰がなくならないようにとりなしていてくださる御子イエス様なのです。

この世で生きるためにはこの世のものも必要ですが、世の人々はまことの神、罪の解決が一番必要であることを、死後どのようなことが起こるのかを知らないために、ピリピ人への手紙3章19節が「彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。

彼らの思いは地上のころだけです。」と語っているように欲が満たされるための祈りなってしまうのではないでしょうか。

ですから、今日の聖句は世の人々と同じような祈りをしないように、語るとともに父なる神は人類に一番必要なものが何であるかをご存じで、御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになったのです。

イエス様は、神の国とその義とをまず第一に求めて生きるなら、世の人々が節に求めているような日常生活に必要なものは添えて与えられる、と仰せになりました(マタイの福音書6章33節)。

詩篇119篇71節が「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。

私はそれであなたのおきてを学びました。」と、苦しみでさえも自分の考えや情にではなくみことばに生きるためには必要であることを語っています。

ペテロの手紙 第一 4章19節が「神のもこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。」と勧めているように私たちの人生に起きるすべてのことの背後に神のご計画があることを何が必要なのか一番良くご存じなのは神であることを認めて生きようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )