2018年10月18日(木)
 主の御目はどこにでもあり、悪人と善人を見張っている。
(箴言15章3節)

<<関連聖句>>
1.箴言5章21節—23節
2.ダニエル書12章2節—3節
3.ヨハネの福音書5章24節—30節
4.コリント人への手紙 第二5章7節—12節
<< ヒント >>
 人は神の存在を知っていても、ローマ人への手紙1章22節—23節が「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように自分たちの考えで、目があっても見えず、耳があっても聞こえず、足があっても動けず、悩みからも救うことのできないような偶像を造って拝むような生活をして満足しているために(イザヤ書46章6節—7節)、今日の聖句「主の御目はどこにでもあり、悪人と善人を見張っている。」ということを知らずに自分かってな生き方しているのではないでしょうか。

かつて、インドのある僧侶が外に出て「神よ。

あなたは人が造ったこんな社におさまるような方ではありませんよね。」と叫んだところ、突然、今まで経験した事のない強い力が臨んだ体験をしたこと、数日後「神のことを教える人が来る」ということを聞いてその集会に行った時、集会の最中にかつて自分が経験したのと同じ力を感じて、クリスチャンになったという証しがスウェーデンのクリスチャン新聞に記載されたことがありました。

それは、敬虔な人で全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈っていたコルネリオという百人隊長のもとにペテロが遣わされ、福音を語っているときにみことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊が下り異言で話し、神を賛美しだしたので、ペテロはイエス・キリストも御名によってバプテスマを受けるように命じた、という記事と同じことが起きていたのでした(使徒の働き10章)。

主は確かにすべての人をご覧になっておられ、真理を求めている方に自らを現してくださるだけでなく、悪人が悔い改めて生きるように働いておられる恵みの神であることを心に留め(エゼキエル書18章19節—32節)、人々のためにとりなして祈ろうではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )