2018年9月22日(土)
 神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ。
(詩篇68篇4節)

<<関連聖句>>
1.サムエル記 第一 6章12節―14節
2.ネヘミヤ記8章1節―12節(*10節の別訳:主を喜ぶことは、あなたがたの力であるから)
3.コリント人への手紙 第二 5章1節―12節
<< ヒント >>
 イエス様は「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。

今がその時です。

父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

神は霊ですから、神を礼拝する者は例とまことによって礼拝しなければなりません。

(ヨハネの福音書4章23節―24節)」と、神が喜ばれる礼拝者の在り方を話されました。

一方、アモス書5章21節―24節は「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。

あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。

たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれらを喜ばない。

あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。

あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。

わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。

公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。」と、神が喜ばれない礼拝について語っています。

どんなに人が喜び満足していても、神が喜ばれない礼拝であるなら、そこには神の御臨在があるでしょうか?かつて超教派の集会に伺った時、賛美リーダーの方が「主はここにおられます」とマイクで叫ばれました。

確かにキリスト者が集まれば主はそこにおられますが、臨在感はありませんでした。

フィンランドで経験したリヴァイヴァルにおいては主のご臨在が強く臨み「主はここにおられる」という必要がありませんでした。

パウロは「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。

あなたがたが眠りからさめる時刻がもう来ています。

というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

(ローマ人への手紙13章11節)」と語っていますが、今はさらに主の再臨が近くなっているのですから、今日の聖句が「神に向かって歌い、御名をほめ歌え。

雲に乗って来られる方のために道を備えよ。

その御名は、主。

その御前で、こおどりして喜べ。」と語っているように、目を覚まして人間関係を第一にするのではなく神との関係を第一に考え、ダビデのように主を喜んで、主が喜ばれる礼拝を捧げ、主の再臨を待ち望もうではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )