2017年11月21日(火)
 わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。あなたは、何者なのか。死ななければならない人間や草にも等しい人の子を恐れるとは。
(イザヤ書51章12節)

<<関連聖句>>
1.詩篇118篇1節—9節
2.箴言29章25節—26節
3.コリント人への手紙 第二 1章2節—5節
<< ヒント >>
 イエス様は「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。

そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。

しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。

また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。

だから恐れることはありません。

あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。

ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。

しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。

(マタイの福音書10章28節—33節)」と仰せられましたが、ペテロはイエス様を信じていましたが、鶏が鳴く前に人を恐れ三度イエスのことを知らないと言ったのでした。

しかし、イエス様は事前にそのことをご存じで「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」と仰せられただけでなく、死からよみがえられた主はペテロに自らを現されただけでなく、責めることもせず、使命を取り上げることもされませんでした。

イエス様が多くのしるしを行われたのに、信じない人々がいることをイザヤ書が預言されていたことを記述してから、「しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエス信じる者がたくさんいた。

ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。

会堂から追放されないためであった。

彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである(ヨハネの福音書12章42節—43節)」と、あるように、人を恐れる根底には「自分を愛する」という状況があるのではないでしょうか。

罪人を救うために御子をお遣わしになられた神の愛を、そして今日の聖句が「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。

あなたは、何者なのか。

死ななければならない人間や草にも等しい人の子を恐れるとは。」と語っているように、人を恐れるよりも、どんな出来事の背後にも主のご計画がある事を、私たちのためにとりなして祈っていてくださる真の慰め主である偉大な主であり、信仰を完成させてくださるイエス様が私たちの心に聖霊なる神として内住しておられるという事実を心にしっかり持って生きようではありませんか。

日々の聖書とメッセージ (「賛美と聖書の集い」ボーマン・ルリ子 )